早く海に帰りたい

人間を喰う

2018-10-23

 

   転院の日である。僕は前日、いや恐らくもっと前から非常に憂鬱であった。当然である。車椅子に乗ったまま僕の忌み嫌う両親(これについては今は多くを語るまい)と同じ鉄の箱に詰められ移動するのだ。その息苦しさと言ったら……。その上、移動に7時間ほどもかかるというのであるから、僕は憂鬱にならざるを得なかった。

   さて転院するのであるから、勿論病院の外に出ることになる。僕は非常に憂鬱ではあったものの、その憂鬱の裏に僅かな高揚感じみたものがあったのもまた事実である。

   果たして僕は何の感慨も感じ得なかった。どうやら二ヶ月に及ぶ入院生活の間に、僕の心は恐ろしく愚鈍で浅薄なものへと落ちぶれてしまったらしい。カーテンに囲まれた狭苦しいベッドと別れる解放感。外の空気に晒され、空調によらない自然な気温に触れる胸の高鳴り。病室と病棟の廊下しか映らなかった視界が一気に開ける感動。そのどれもを僕は期待していたのであったが、その一切を感じ得ることはなかった。更に言えば、平生僕が部屋の外へ出る際味わっていた恐怖すらも感じることはかなわなかった。僕は所謂引きこもりであったし、その上ひどい鬱傾向にあったものだから(これは僕が自殺を試みて自室のベランダから飛び降りるような人間であることから察せられると思う)、外に出る折には度々強い恐怖に晒されたものであった。そんな僕であるから、屋外へ出る際には必ず何かを感じるものなのだが、この日に限っては何の情緒の動きも見られなかった。僕は何とも言えぬ哀しみに全身を包まれた。しかしこれは外の世界に対してのものではない。外界の刺激に対して不感症になってしまった自らへの、極めて内向的な哀しみなのであった。

   一面灰色の空が、なんだか僕の心を見透かしているようだった。そして僕のその考えすらも見透かしたように雨の雫が一粒、また一粒と僕の顔を濡らし、哀しみに涙を流すことすらかなわぬ僕を嘲笑ってみせるのであった。